『2005年2月〜3月の日記』 



2005年3月29日 『仕事再開しました』
2005年3月27日 『復帰へのパワー2』
2005年3月27日 『コミュニティーの大切さ』
2005年3月24日 『生活復帰へのパワー』
2005年3月23日 『偶然はメッセージ』
2005年3月22日 『福岡西方沖地震3日目』
2005年3月21日 『今の段階でできること』
2005年3月21日 『福岡西方沖地震当日(3月20日のこと)』
2005年3月21日 『福岡西方沖地震前日(3月19日のこと)』
2005年3月9日 『静寂の庭』
2005年3月7日 『福岡でも雪でした』
2005年2月28日 『初春の香り』
2005年2月24日 『紀元前5世紀の美術』
2005年2月15日 『雪!』


 
2005年3月29日『仕事再開しました』
昨日から大きな余震が感じられなくなったので、ジュエリー製作の仕事を再開しました。ジュエリー製作は、始めると2〜3時間、火をつけっぱなしにする作業になるので、余震がある間はやめていたのですが、昨日は一度も余震を感じることなく、作業に没頭することができました。ご依頼のもの、そして10月の展示会に向けて、震度6を乗り越えたパワーが詰まった作品になりそうです。

ホークスも昨日で開幕以来3連勝です。選手の寮も地震の被害を受け、修復まで一ヶ月かかるそうです。試合では城島選手が玄界島の人たちを招待していました。『城島シート』がテレビに映ると、子供達が立ち上がって応援していました。ホークスの選手はそんなファンのパワーを、そしてファンは選手達のパワーを受け、未来への活力にできたんじゃないかと思います。
2005年3月27日『復帰へのパワー2』
昨日は野球のソフトバンクホークスの開幕戦でした。わたしは野球にはあまり興味がなかったのですが、福岡で過ごすうちに両親のペースにはまり、野球の面白さを実感しているところです。野球を見始めて思ったのですが、同じ地域に住んでいる人たちが、ひとつの目標に心を合わせるというのは、あまりないイベントだと思うのです。実際に試合場に行ってみると、お年寄りも子供達も男性も女性も、本当に多くの人たちがひとつのボールの行方を追って楽しんでいます。そして、野球でもサッカーでも、何かを『応援』するという気持ちは、地元への愛情を深めると思いました。自分の住んでいる土地を愛することができると、何か起きたときの復帰も早いような気がします。昨日のドームも3万5千人の席がほぼ満席でした。福岡人のたくましさを見たような気がします。



  
7回の攻撃前に用意されるホークスのテーマ
                                           カラーの風船は菜の花畑のようでした。

昨日のドームでは大画面にはYAHOO!グループ、ホークス関係者の義援金の報告が映され、また客席では『がんばれ福岡』の垂れ幕が揺れていました。選手会は野球の試合が見られるように避難所にテレビを贈ったそうです。明日への活力を見出すきっかけはいっぱいあると思います。
2005年3月27日『コミュニティーの大切さ』
今朝、福岡市がHPで発表した玄界島の地震被害状況は、住居被害173件、死者0人、負傷者10人でした。二日前にローカル番組で震度6の地震でなぜ死傷者が少ないのかという特番を放送していました。地震当日、ヘリコプターから映された玄界島の映像は本当にすさまじいものでした。山を削って作っている住宅地なので、地盤がゆるく、なだれのような状態で家が倒壊していました。島の中に張り巡らされている小道は両側から崩れてきたブロックや家の破片で埋もれていました。ほんとうに島全体が破壊されたような印象でした。けれど、その後の報道で、島から死者は出ず、負傷者も無事に避難できたと流れました。最初は奇跡的な幸運だと思ったのですが、数日前に見た特番で、それは奇跡なのではなく、玄界の人たちが築き上げたコミュニティーの絆によるものだとわかりました。

玄界島は200世帯ほどで、そのほとんどが漁師として生活を営んでいるそうです。漁にいくお父さん達も一緒に行動をとることが多く、家にいる家族もお互いの家を良く知っていて、普段から交流が深いそうです。地震の日、家に残されたお年寄りを近所の人たちが抱えて、山を登り、津波に備えたそうです。結果的に津波は起きませんでしたが、その判断の早さと、行動の確かさに専門家も驚いていました。続けて、普段消防やガスを担当している人が島を見まわり、ガス漏れをみつけ、元栓を閉めてまわったそうです。あれだけの倒壊が起きつつ、火事が一件もでなかったのはそのためだとされています。玄界島で被害が最小限におさえられたのは、島の人たちが築き上げた強いコミュニティーシステムのおかげだったのです。

昨日、玄界島の人たちの避難所である九州電力体育館にボランティアの申請に行ってきました。玄界の人たちの今の希望は漁のできるところに仮設住宅が建つことで、それが決まった今は、とにかく早く仕事ができるようになることに気持ちが向いているそうです。また、避難所では島の診療所の先生が島民のカルテを全部持って一緒に避難していて、仮設の診療所を作っているそうです。また学校の先生達がチームで子供達のケアをしているということでした。ボランティアセンターの人のお話では、いまは避難所が島であり、自宅であるので外部の方たちとの接触を望むより、そっとしておいて欲しいというのが自治会からの要望だそうです。体育館の周りの駐車場には報道の車がいっぱい止まっていて、そのことがかえって島民の皆さんを疲れさせているというお話でした。

昨日、避難所に行って、わたしができることをしっかり見てこれた気がします。いまは家族の健康のために毎晩マッサージをすること、しっかり鋭気を養って『気』を飛ばすこと、少しでも義援金を送れるためにしっかり仕事をすること、HPでみなさんにメッセージを送ることです。玄界のみなさんがやったように、ひとりひとりが自分の役目をしっかり果たせばそれは大きなことに繋がると思っています。
2005年3月24日『生活復帰へのパワー』
昨日は街に出てみました。地震翌日に買い物に行ったときは、皆さん水や片付けをするための軍手、家の補強をするための板などを買い求めていて、やはり被災した街なのだという印象を強く受けました。けれど、昨日は飲食店や八百屋さん、魚屋さん、本屋さんなどいつもどおり営業されていて、いつもどおりの買物客でにぎわっている姿が見られました。このとき私が一番感じたのが、『安心感』でした。たしかに余震はまだありますが、そんな状況でも『日常』を取り入れることはできて、そのことが安心感を取り戻すきっかけになります。避難所はできるだけ安全な場所にあるはずです。そうするとその周りの人達が日常に戻るのも早いと思います。いま避難所にいらっしゃる方も、散歩や買い物に出かけてみてはいかがでしょうか?そこで生活を始めている人の姿や、仕事を再開している人の姿を見ると元気が出てきます。
           
   
『リアカー隊』で有名な西新(にしじん)の商店街    写真をお願いしたら笑顔で応じてくれました。
 
            
この商店街に魚、野菜、花などのリアカー隊が立ち並ぶのは博多の名物の風景です。おもに志賀島の農業、漁業の方が
毎朝、荷物を運んで売りに来ているそうです。志賀島ではいまだ、大きな道が通行止めになっています。玄界島では漁業がストップしたため、魚屋さんはいらっしゃいませんでしたが、それでも多くの品物を抱えて、並べて、笑顔で商売されている姿に元気づけられました。昨日の報道では、玄界島の漁業も近々再開されるそうです。仕事が再開できるのは本当に生活への活力になることだと思います。リアカー隊の人達に福岡の人の底力をみせてもらった気がしました。
2005年3月23日『偶然はメッセージ』
今日も雨が降っています。避難所の方たちが暖をとれていますように。今回、奇跡のような偶然がいくつもおきました。それをただラッキーだったと思うのはちょっと違い、やはり意味があるのだと思い、ひとつひとつ正面から受け止めてようと思いました。

前日:
1.19日の午後の便で福岡に戻ってきたこと。
    帰省を20日以降に予定していたら、戻って来れないまま、心配しながらテレビにかじりついた日が続いていたと思
    います。わたしたちのリウマチという病気はストレスが抗原となって体を攻撃する病気です。『心配』は一番のストレ
    スになります。わたしの性格上、遠くで心配するより、現場でひとつひとつ乗り越えるほうがはるかにストレスを感じ
    ていません。それに3人、家族がそろっていたからこそ、パワーが集結して頑張れている感じがしています。
    夫が一人、遠くから援護してくれていることも、渦 中であたふたすることなく行動できている要因だと思います。
    山形の夫の実家からも電話があり、『潤子さんが元気になっててよかったあ』と言われました。そうなんですよね。
    わたしがここにいたことが不運なのではなく、元気でここにいたことが幸運だというとらえ方が、次の幸運を呼ぶの
    だと思います。
    
何が起きたとしても、どんな体制でそれにのぞめるかということが重要なのだと思いました。

当日:2.10:00に夫からオハヨウメールが何度もきたこと。
    
そのメールで起きていなかったら・・・。その後も夫のオハヨウメールでどんなに眠たくても、起きるようにしています。
    人間だって動物です。生存のための勘が働くということはあります。そして、そのことで大きな被害を避けることもで
    きるのです。
日頃から勘を研ぎ澄ます訓練を自分なりの方法ですることをお勧めします。

    
3.今年の初めに、光ファイバーにしていたこと。
    
当日は携帯も有線も電話が一切使えませんでした。福岡県内の親戚と連絡がとれない事にもやきもきしましたが
    テレビですごい映像が流れていたので、きっと全国の友人が心配しているだろうと思うと気が気ではありませんでし
    た。そこで無理かなと思ってパソコンをつけてみると、インターネットが使えたのです!数々のメールが届いていて
    とりあえずの無事をお返事することができました。また、HPを更新することもできたのでこうして近況を報告すること
    ができています。
普段、できることができるということは精神的にもとても助けられました。それに緊急事態で一番
    必要なのは情報なのだとも思いました。
当事者が欲しい情報を得ることも重要ですし、また、外部との連絡がとれる
    というだけで、一人で耐えているのではなく、みんなが支えてくれているということがひしひしと感じられました。

    
4.父・母・私がそろっていたこと。
    
地震直後、母は外に飛び出し、マンションのお年寄りや小さな子供さんがいる部屋を訪ねて周りました。父は部屋
    に戻りテレビで情報収集と、歩けるようにするために床のガラスの片付けをしていました。わたしは外の様子の確
    認と部屋の状況の撮影、連絡をしていました。突然起こったことでしたが、みなが前から決めていたように適材適所
    で動いていたような気がします。たとえ子供でもお年寄りでも緊急事態にできることはあると思うのです。そのため
    には
自分に無理を課さないためにも目の前の状況を冷静に判断し、自分の役目を察知することが重要だと思いま
    す。


    
5.オーラソーマボトルが一本も割れなかったこと。
   
 年末の体調不良で自分の使命を果たすことが、命を取りとめる方法だったことを自覚しましたが、今回も仕事道具
    が無事だったことをみて、改めてそう思いました。そこで昨日、家の近くの病院にマッサージのボランティアの申し
    出をしてきました。
非常事態に改めて気づくことを、その後の日常で行動に移せることが『教訓』なのだと思いまし
    た。

    
5.大きな怪我や体調不良が起きなかったこと。
    ボトルが割れなかったのは父が作った棚だったので父の守護力が働いたから、家族に怪我がなかったのは母の
    守護力が家を守ったからだと長原博子さん(にこにこ村ヒーリングルーム担当セラピスト)に言われました。普段の
    生き方の中で何を大事にするか、どこに思いをかけるかということが、こんなときに力を発揮します。物や財産や名
    誉や地位などは一瞬で崩れます。
あなたが大事にしたいものは何かもう一度、考えてみるきっかけにして頂けると
    うれしいです。

偶然は神さまからのメッセージかもしれません。ひとつひとつ起きたことをいまかみ締めています。また気づいたことがありましたら、ご報告します。
2005年3月22日『福岡西方沖地震3日目』
今日は朝から雨です。このまま雨量が増えるという予想です。昨夜も大きな余震があって2度ほど起き上がりました。家の中で水道・ガス・電気がある状態でもこれだけ心身ともに疲れるので、避難所の人達の健康が心配です。

地震の中で起きる心と体の症状とその対策を考えてみました。
当日  ・揺れの中で逃げる際、腰を痛める(私)
           
 ・・・暖めながら、少しでも重力から解放するよう、横になっていました。
     ・激しい動悸(私)
            
・・・息をするのを忘れるような状況なので、しっかり深呼吸をするのを心がけました。
     ・手足の温度が下がり、全身に寒気がくる(私・母)
           
 ・・・恐怖心と緊張から末端の血流が悪くなったのだと思ったので、お湯で暖めマッサージをしました。
翌日  ・一日何回もある大きな余震による緊張(私・母)
           
 ・・・体に感じ、家の中もミシっと音がする度、心も体も緊張がとれません。気づいたときに、手足をブラ
               ブラさせたり、みんなでおしゃべりしたりして、解放する時間を持ちました。
     ・一日何十回とある小さな余震による船酔いのような吐き気(私・母)
            
・・・これは一番辛い症状です。寝るとより揺れを感じるし、起きていると疲れるし食欲もなくなります。
              でもあえてしっかり食べて、体力をつけないと睡眠もとれなくなります。
     ・気づかないうちの怪我(父・母)
           
 ・・・逃げる際や片付けする際に割れたガラスなどで知らずに足や腕に傷があったのですぐ消毒し、
              その後靴下、軍手は欠かさずつけていました。              

     ・押しつぶされそうな倦怠感、全身の疲れ(私・母)
            
・・・緊張や不安が続くだけで、体にもすぐに疲れがたまります。昼でも夜でも眠れそうな時間があった
              ら30分でも一時間でも眠ると体力が戻ります。うちでは一日の終わりに家族交替でマッサージを
              しています。これは体の不調を整えることもさることながら、フーッと心から深呼吸でき、明日への
              生命力を復活させてくれています。非常事態だからこそ、元気になる可能性のあるものは積極的
              にしましょう。
     ・背中中央の熱を持ったような痛み(私)
            
・・・緊張、動揺、疑問など重い塊のようなものを背負っている感じがとれませんでした。母に
              正しい使命感が発揮できるようにオーラソーマボトル01番を塗ってもらうとスーッと消えていきま
              した。
     
・心身ともに消化不良(母)
            
・・・夜、マッサージをすると母が腰の辺りが熱いというので、気功で確認してみると第三チャクラの不
              調がわかりました。『消化できてないね』というとまさにそうだと言っていました。それから第三チャ
              クラを整える気功をし、心の分野の『消化』の話をしました。
    
 ・肩・首のしこり(父)
            
・・・父のマッサージをしていると、首・肩に重い塊があるのを感じたので、母と二人がかりで指圧しまし
              た。きっと私たちを守るために誰よりも重責を感じていたのでしょう。今朝は元気に会社に向かいま
              した。

人生にはいろいろな出来事が起きます。でも、人間には心も体も回復する力があります。がんばりましょう。 
2005年3月21日『今の段階でできること』
いま家の中の様子を見てみて気づいたことがあるので、少しでも参考になればと思い書いてみます。福岡は地震がない地域だと言われていました。その福岡でこれだけ大きな地震がありました。福岡のみなさんはもちろんですが、他県の皆さんの対策にもなればと思います。

 
1.夕方の空の様子に気をつけましょう。
   いつもと違う色の夕焼け、雲の形などは地震の前触れの可能性があるかもしれません。
 
2.持ち出しバックを作りましょう。
   少なくとも二日分のカロリーが取れる食品、水を用意しましょう。大きな避難所であれば二日の間に国からの援助は
   届いているようです。都心から離れた地域の方たちはもう少し時間がかかるかもしれませんので、多めに用意しまし
   ょう。けれど、自分で持ってみて持ちやすい大きさでないと、いざというときに持ち出せません。わたしも普段は一人
   でいる時間が多いので、夫が持てる重さではなく、
自分が持てる重さで用意しようと思います。
   そして、ひとそれぞれ大切なものは違います。これさえあれば、
心が落ち着くというものもひとつ用意しておきまし
   ょう。(わたしは今回、結婚指輪と未来にしたいことをいっぱい書いているノートでした。)
   必ず必要なものは薬です。傷薬や頭痛薬などは避難所で手に入るかもしれませんが、持病をお持ちの方は、少なく
   とも
一週間分の薬と、薬局からもらう説明書を常時入れておきましょう。わたしたちのようにリウマチを持っている場
   合、一回、薬を飲めないことで痛みを感じますよね。非常時のストレスで数々の症状がでてきます。持病だけは悪化
   させないようにできることをしましょう。
 
3.携帯電話と充電器
   一番使いたいときに使えないかもしれません。でも今回は、電波自体は半日待てば繋がるようになりました。連絡が
   できないというのがこれほどのストレスになるとは思ってもみませんでした。できれば企業のみなさんに災害時に強い
   携帯と電波を開発していただきたいです。
 
4.本棚は下に重い本を入れましょう。
   うちの本棚は下の段に重い画集などの本を入れていて、上の段は飾り棚にして、小物を置いていました。それが今回
   ばたんと倒れず、30cmずれるということでおさまった理由だと思います。本が流れ出してくるだけでも危ないので、
   棚を固定する手段がない方は、下に重心を置く置き方に変えてみてください。
 
5.余震は続きます。
   今、一番感じているのは大きな余震に対する恐怖心、そして一日に何十回と起きている小さな余震に対する船酔い
   のような吐き気です。ひとつでも自分の
心を安定させる手段があるなら実行しましょう。わたしはいま夜もすぐ外に出
   れる服で寝ています。それは恐怖心というより、何かが起きたときにひとつでもやることを減らすという安心感を得るた
   めです。安心感が少しでも増えると睡眠が取れます。睡眠が取れると体力が回復します。非常時に眠れないのは当
   然のことです。だからといって、地震のせいばかりにしても解決はしません。地震は多くのものを奪いますが、自分が
   できることでとりもどせるものもあります。
   また小さな余震がこれほど体力を奪うということも知りませんでした。できるだけ、家族で交代で睡眠をとる、恐怖心
   の少ない昼に眠るなどして
体力の回復をはかりましょう。あとは酔い止めの薬なども効くかもしれません。
 
6.余震の間は目線より高いところにある壊れ物は下に下ろしましょう。
   壁に動かないように固定されているもの意外はあらゆる方向で飛んできます。それは想像ができません。怪我を減ら
   すためにも、できれば普段から気をつけましょう。

また、気づいたら随時お伝えしたいと思います。


2005年3月21日『福岡西方沖地震当日(3月20日のこと)』
3月20日(地震当日)
前の日に長距離移動だったので、疲れを取るため朝寝坊しようと思い、目覚ましもつけずに寝ていました。すると夫から何度もオハヨウメールが来て、しょうがなく、起きることにしました。それが10:20分でした。朝ごはんを食べて、洋服に着替えるために部屋に戻り、着替え終わった瞬間、ものすごい音と立っていられないほどの揺れが同時に来ました。父はリビング、母はベランダにいて、みなで這うようにして父のもとに集まりお互いをつかみあって固まりました。目の前では雨のようにパラパラと壁の額縁や、お皿などが落ちて割れていました。あとで報道をみると20秒ほどの揺れだと言っていましたが、わたしたちにとっては、とてつもなく長い時間に感じました。実家は福岡市中央区の海沿いにあり、親戚の中で一番、震源に近い場所でした。一時はバックひとつ持って、マンションの人達と一緒に階段で下り、建物から非難しました。

下は地震直後の写真です。

  
引き出しは全部開き、ガラスの破片な   棚のものは全て落ち、壁に飾った   あと30分寝ていたら石膏像が・・・。
どが思わぬところまで飛んでいて、揺   額などが変な向きのまま留まってい  部屋に戻ったとき、自分の寝ていた場
れの激しさを感じさせました。        るのが不思議でした。          所を見てぞっとしました。
   
オーラソーマのボトルは棚の中で崩れ落ちて   本棚が30cmほど前方にずれて   時計はそのときの時刻で止まって
いました。上の段を見ると、背板と横板の間に   いました。倒れなかったのは幸い   います。午前10時55分前後の
逆さまになって挟まっています。どう揺れたら    です。あとで両親が元に戻そうと   ことでした。
こんな風になるのでしょう?ただの横揺れでは   押しましたが二人がかりでやっと
なかった気がします。でも、一本も割れませんで  動く重さでした。
した。感謝です。

揺れがおさまり、部屋に戻ったあと、祖母が心配になり電話をかけるのですが、携帯も有線もどちらもまったく通じない状態が
しばらく続きました。連絡がとれないというのは当事者も、他県から心配して下さっている方たちにもとてももどかしく、大きなストレスになります。こんなときこそ、いつも以上に携帯を使いやすくする企業努力が、消費者として望まれます。年始の挨拶で混雑するのとは違うのですから。

2005年3月21日『福岡西方沖地震前日(3月19日のこと)』
3月19日(地震前日)
夕方、札幌への一時帰宅から、福岡に実家に戻りました。夕ご飯の準備をしているとき、母が『今日の夕焼けおかしいね』というので父と外を見てみると、いつもと違う真っ赤な空で、おまけに雲が横と縦にTの字に広がっていて、はじめて見る雲の形だとみんなで話していました。
以前、神戸の地震の前に、地震雲が出ていたという話を思い出し、もしかしたらその可能性もあるのかなと思っています。自然が発するメッセージに気づくことは、昔の人々がおこなってきた自分の身を守る術ですね。現代でもそのことに敏感になることはとても重要なことだと身を持って感じました。こちらのニュースでも、前の日の夕方の空がおかしかったと気づいた人は多かったそうです。しかし、科学的には『関係ない』と報道されています。本当にそうでしょうか?人間だって動物です。動物の生存のための第六感を働かせることは、科学に勝るかもしれません。この日から毎日空を眺めて過ごしています。
2005年3月9日『静寂の庭』
先日、福岡市城南区にある『友泉亭公園』を訪ねました。ここは1754年(江戸中期)に黒田藩の明主と言われた黒田継高公の別邸として建てられたそうです。今は公園として整備され一般公開されています。園内の木々はどれも一本一本が大きく、歴史の深さを感じられます。いまはまだやっと芽吹いた時期で訪れる人も少なく、この静けさがなんとも心地よかったのですが、桜の季節、もみじの季節なども格別だそうです。
  
   底の苔の緑が美しい池            ゆっくりと庭を眺めながら、お抹茶のセットを頂けます
藩主の別邸とは言っても、きらびやかな部分はなく、ただただ静かに庭を眺めるという風情の場所でした。心静かに自分と向き合えるこのような場所を大事にする藩主だったからこそ、政治権力の世界でも正しい道を選べたのだと思います。
2005年3月7日『福岡でも雪でした』
6日の朝起きると、一面真っ白に雪が積もっていました。風の中に雪が混じることはあってもこんな風に積もるのは、今年初めての景色でした。実家はドームの近くに住んで3年になりますが、ドームの屋根に雪が積もっているのを見るのは初めてだそうです。
   
      (午前10時の写真)               (午後2時の写真)
でも、写真のように午後には何事もなかったように、跡形もなく消えていました!気温が高いとはいえ、一瞬で消える雪を見ると札幌の方たちはびっくりするだろうと思います。でも、もう3月になりました。今日は札幌もお天気がよく、気温が高いそうです。花がいっせいに咲く春ももうすぐですね。
2005年2月28日『初春の香り』
  
福岡市の舞鶴公園に行ってきました。風はまだ冷たいのですが、もう梅はこのように咲いて公園に春の色をつけていました。木の下に立つと甘酸っぱいような、燐とした香りが漂っています。梅の香りは、色とりどりのはじけるような明るさの春の香りというより、なんとなく、大人のしっとりとした香りのように思います。舞鶴公園は福岡城跡なのですが、その趣のある石壁に、歴史を感じさせる梅がとてもよく似合っていました。まだ風が冷たいうちから咲き始め、わたしたちに香りを届けてくれる梅から『強さ』というエネルギーをもらった気がしました。
2005年2月24日『紀元前5世紀の美術』
福岡市博物館で行われている『偉大なるシルクロードの遺産展』に行ってきました。紀元前5世紀というとみなさんは何を連想されますか?わたしはシルクロードといえども、土器、玉の勾玉、くらいかなと思っていました。だって、日本の文化を考えると縄文時代よりもまだ2000年ほど前の話です。それなのに!行ってみるとものすごく細かい細工の金細工ジュエリーが並んでいました!動物や人の顔や植物をリアルに再現し、200くらいあろうかというパーツを首飾りとして仕立て上げてありました。参りました。素材にしても金、ラピスラズリ、ターコイズ、ヒスイ、ガラスなどを掘り起こし、デザインにあわせて削るという途方の無い時間がかかっていると思います。材料がそろったあとも、技術そしてなにより仕上げまでの集中力・精神力を考えると、同じモノ作りの人間としては頭が下がる思いでした。この7000年の間、本当に人間は進化しているのでしょうか?みなさんはどう思いますか?

 『偉大なるシルクロードの遺産展』 2005年4月3日まで福岡市博物館にて
※ウズベキスタンからの出展品が届いておらず、いまなら無料だそうです。
2005年2月15日『雪!』
『札幌雪祭り』この響きがこんなに身近になるなんて思っても見ませんでした。そして、今年は無理だと思っていたのですが見に行くことができました。大雪が各地に大きな被害を及ぼしているという報道を今年は何度も見ました。雪なんて見たくないという経験をされた方もいらっしゃるでしょう。でも、人間として地球で生きている限り、自然の厳しさとも向き合わなければなりません。5ヶ月近く雪に埋もれる北海道で暮らす人たちにとって、雪と共存することは人間の知恵です。病気を持っていて、その病気と共存することと似ています。病気があるから気付けることがあるのと同じで、冬の厳しさがあるから冬の美しさも感じられるのだと思います。
            
    
(photo:otto)






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