村長コラム『2004年年末の出来事』

これは2004年11月にわたしに起きた事の報告です。




                                           
    『2004年年末の出来事』目次

12/20  6.わたしを救ってくれたもの(2004年12月7日〜12月14日退院の日)
 12/20  5.甦ったわたし(2004年12月4日〜12月6日)
 12/20  4.感情が消えている自分(2004年11月30日〜12月3日)   
   
12/18  3.個室での日々(2004年11月24日〜29日)
     12/16  2.わたし、人間?(2004年11月25日)
 
   12/16  1.何かが違う!異変を感じた日(2004年11月24日)




   6.わたしを救ってくれたもの(2004年12月7日〜12月14日退院の日)
 
     大量に投与した薬で顔や手足の皮がむけたり、微熱が引かなかったりという副作用が現れはじめ
     また、5kgも体重が減った事で背中や腰の筋肉がなくなり、ベッドで横になると激痛が走るようになり
     ました。体操座りをしながら痛みに耐える夜もありました。でもそんな状況を乗り越えられたのは、周りに
     いてくれた皆さんのおかげでした。

     眠れない夜を過ごした朝、わたしのベッド脇に来て雪を見ながらずっと話しかけてくれていた看護士さ
     ん。こんなことが起きたことでわたしが北海道を嫌いにならないようにと、北海道の味覚や名所の話をし
     てくれた部屋のみなさん。起きた事は大変なことだったけれど、この病院に来れてよかったと本当に
     思いました。

     結局、今回のわたしの症状に対して、医学的な結論は何もでませんでした。運ばれてきた日の炎症の
     数値は通常の10倍だったのに、次の日の数値はもとにもどっていたという劇的な変化も説明のつかな
     いことでした。薬のショック症状ということで受けた血液検査も陰性でした。そして、日に日に元気になっ
     ていく回復力もみんなが頭をひねるほどでした。

     今回の事でやっぱり人の健康は肉体と精神と魂のバランスだと体感しました。わたしが大事にしてきた
     ことに間違いはなかったとも思えたし、今後も自信を持って、人に伝えていこうと思いました。なにより
     今回、わたしのことを救ってくれたのはみなさんの『こころ』だと思っています。大変な時に一人で私を
     支えた夫、慣れない雪道を毎日何往復もしてくれた母、毎朝毎晩母を励まし続けた父と弟、毎日わたし
     の回復を祈ってくれた福岡や山形の家族、そしてHPを見て気持ちを送ってくれたみなさん、そして、
     家に帰ってからもわたしの病状を気遣って病院に電話してくれる斎藤先生や入れ替わり精神誠意対応
     してくださった医療スタッフのみなさんに心から感謝します。

     そしてこの感謝の気持ちをわたしにできる方法で形にして、社会に還元していきたいと思っています。
     これからは生きている喜びを日々感じている自分でありたいと思います。



   5.甦ったわたし(2004年12月4日〜12月6日)
 
     感情が少しずつ吐き出せるようになると、今まで感じなかった死への恐怖が押し寄せてきました。夜にな
     ると突然、心臓がバクバクと激しくなり、目が覚め、眠れなくなりました。最初は体調の悪さだと思ってい
     たのですが、ある夜それが恐怖心から来るものだということに気づいたのです。『怖い』というだけでナー
     スコールを押すこともためらわれ、真夜中と言う事で家族に電話する事もためらわれ、真っ暗な中ひた
     すら恐怖心と向き合っていました。そのとき、テーブルの上に母が持って来てくれたみかんをみつけま
     した。何も考えず、皮をむき食べました。そのとき心の中で『大丈夫、食べられる、生きてる、生きてる』と
     何度も声がしました。その日からみかんが必需品になりました。

     4日の土曜日、東京から長原博子さんが駈けつけてくれました。わたしが入院してからずっと母と夫に連
     絡を取りつづけ、支えてくれていました。彼女が札幌にきてまずしてくれたことは、家の中の気の流れを
     よむことでした。家具の配置、植物の配置などから、わたしがなぜこんな状態に陥ったのか、回復する
     為の環境はどんなものか、夫と母に魂のレベルから説明してくれていました。そして家の中の状態を見
     てお風呂のシャンプーのふたの開け閉めはできているのか、戸棚の取っ手は高すぎないか、ひとつひ
     とつわたしの体を理解した上での改善案を話してくれたそうです。家族以上にわたしのことを理解してく
     れている人がいるということに母は一番勇気づけられたようでした。

     またチャネリングで、わたしや母が食べた方がいいもの、少し距離を置いた方がいいもの、手に入れた
     ほうがいいものの情報を受け取り、伝えてくれました。でも、病院に来てくれた日のわたしはまだ能面の
     ように表情が動かず、心を閉ざしている状態でした。長原さんが帰る日になってもそれは変わりません
     でした。きっとショックを受けて帰ったことだろうと今は思います。でも、次ぎの日の長原さんのメールに
     は思わぬ一言が書いてありました。
     『仕事しろ!寝ていてもあなたができることはあるでしょう!あなたがそこにいる意味を果たせ!』言葉
     はもっともっと優しい言葉でしたが、わたしにとっては衝撃の一言でした。そして読んだ瞬間、なぜか大
     笑いしてしまいました。ああ、この人は心底、わたしのことを信じていると。死の渕を見た病人にこんなこ
     とを言えるのは真の信頼感があるからだと。

     その日、母に連絡しカラーセラピーの道具をできるだけ持ってきてもらいました。そしてまずは同じ病室
     のみなさんにセラピーをはじめました。みるみる部屋の雰囲気が変わって、希望に溢れたものになりま
     した。私自身も日に日に顔色が変わり、体調が回復して行きました。2〜3日うちに噂が広まり、毎日の
     ように看護婦さんからセラピーを頼まれ、『行列ができるカラーセラピールーム』の状態になりました。同
     じ病室のみなさんが『わたしマネージャーやる』『私ビラ配り』『わたしサクラ』と言ってくれて、どの部屋よ
     りも活気があふれる部屋になりました。

     『仕事しろ!』この一言がわたしが甦るきっかけでした。



   4.感情が消えている自分(2004年11月30日〜12月3日)
 
     自分の体の急激な変化にショックを受けて依頼、わたしは笑う事はもちろん、悲しみや怒りや恥ずかしさ
     さえ感じなくなりました。一日中、天井を見上げて過ごす日が何日か続いた後、部屋の様子にやっと目が
     向きはじめました。そこは血液の病気を治療する病棟でした。少しずつ、部屋の人達と話をするとご主
     人の定年退職を間近に白血病がわかった人、高校生と中学生の息子さんのお母さん、わたしより若くて
     発病した人、命の時間を意識せざるおえない病気の宣告を受けた人達、それぞれに大きな課題と戦っ
     ている人達でした。でも、その部屋の皆さんは、お互いに笑い合い、お見舞客を気遣うほど心の豊かな
     人達でした。

     どこにそんな強さがあるのだろう?どうしてこの状況で笑う事ができるのだろう?最初の頃わたしはその
     輪の中に入る事ができませんでした。でもその部屋で過ごすうちにあることに気づきました。お見舞客や
     看護婦さんには笑っておしゃべりしている皆さんも、夫が来た時には、体の辛さや心配事を吐き出して
     いたのです。たった一人、自分の事を丸ごと理解している人がいるということがこれほど人を強くするの
     だなと改めて思いました。そしてわたしはそれを勘違いして生きてきたことにも気づきました。今まで自
     分のことをできるだけ、自分で解決することが強さだと思っていました。でも、辛い事でも汚い感情でも
     なんでも話せるだけの信頼関係を作る事が、強さなのだということをこの部屋で学びました。



   3.個室での日々(2004年11月24日〜29日)
 
     救急車で運ばれた日から、大量に薬を投与する治療が施されていました。その量は普段、常用してい
     るステロイド剤の10倍以上。顔は真っ赤にほてり、ぱんぱんに腫れあがっていたそうです。ステロイドは
     即効性のある薬ですが、副作用が強く、またわたしのようにリウマチを持っている人にとっては上手に使
     わないとかえって症状が悪化することもあります。医師からの説明では、『大量に薬を入れた後、一時的
     に体調は改善されますが、そのままの量を入れ続けると薬中毒になってしまいます。かといって、急に減
     らすとリウマチの再燃が起こります。』ということでした。でも、『命を優先しました』との医師の言葉に納得
     せざるを得ませんでした。

     個室にいる間はステロイド剤の量は減りませんでした。その代わり、血圧を自力で安定させられるように
     なり、29日には心電図の機械もはずされ、尿のカテーテルも外され、鎖骨からの点滴だけになりました。
     身軽になり、大部屋への移動となり、予想しなかったことが起こりました。歩けないのです。ベッドから降り
     2〜3歩進んだだけでガクガクと震えだし、ふくらはぎや太ももに激痛が走ります。一瞬、何が起こってい
     るのかわかりませんでした。ふくらはぎを触って見ると伸びたゴムのようにテロンと揺れています。自分の
     体の変化に愕然としました。たった6日間、ものを食べず、寝たきりだっただけで、31年間使ってきた筋
     肉がこんなにもろくなくなってしまうなんて。大部屋での移動は回復を意味します。喜ばしい事です。でも
     その時のわたしは喜ぶ心の余裕など微塵もありませんでした。


.わたし、人間?(2004年11月25日)
 
     朝、目が覚めると夫が病室に来ていました。頭がボーっとして、状況がよくわからなかったけど、とりあえ
     ず、目の前に夫がいることで安心しました。ちょっとずつ意識がはっきりしてくると、自分の体の異変に気
     づきました。体が動かないのです。自分の状態をよく見ると両腕・右足に3本の点滴のチューブ、膀胱か
     ら直接尿を取る為のカテーテル、左胸には心電図を取る為のコード。体中が管だらけになっていました。
     でもその時のわたしはなんとも思わなかったのです。今思うと、あまりの出来事に感情が凍っていたよう
に思います。きっと夫もそうでした。それから二日間、夫は仕事を休み、病室に泊まりこみました。

     治療のおかげで血圧、脈拍は安定したものの、熱が39度から下がらず、高熱で歯を食いしばった為か
     舌が切れて、口から食べ物が食べられない状態が数日続きました。『強い薬と高濃度の栄養剤を入れる
     ために鎖骨のあたりを切開し管をいれこみます』と医師に言われました。外科の医師と看護師がガラガラ
     と道具を持ってやってきました。局部麻酔をして、管を入れる作業がはじまりました。ベッドから動けなか
     った事が幸いで患部を鏡でみなかったので、自分としては痛くもないし、足や腕の管がはずれただけで
     気持ちがすごく楽になったのですが、駈け付けた母はその様子にショックを受けたようでした。

     このときは感情の動きがなかっただけではなく、食欲、排泄欲、睡眠欲など生きていく上での欲求が全て
     感じられませんでした。まだ血圧を安定させるのも薬を使う状態と聞き、『わたしは人間として,動物として
     の機能がなくなってしまった』と感じました。
 

  
   1.何かが違う!異変を感じた日(2004年11月24日)
 
     その日はとても気分がよく、午前中に家の仕事を済ませ、午後一でお風呂に入りました。明るい日差し
     が差しこむお風呂で、床のカビを発見し、そのままついでにお風呂のそうじにとりかかりました。スポンジ
     を使ってゴシゴシとする力のないわたしはいつものように、カビ取り洗剤を床にスプレーし、しばらくして
     流しにいきました。無事、終了した10分後、『あれ!?おかしい』、目眩と手足のしびれを感じました。少し
     横になろうとベッドルームにいく足取りがとても重たい。肩の上に何かがぶら下がっているような重圧感。
     『これはいつもの具合の悪さとは違う』と思い、横になってからどうして?何が悪かった?としばらく考えま
     した。思いついたことはカビ取りスプレーの中毒です。重たい体を引きずってスプレーの注意書きを読
     むと『混ぜるな、危険』の文字。もしや中毒に!?と思い、慌てて牛乳を飲み、酸素吸入しましたが、一
     向によくなりません。それどころがだんだん意識がおかしくなり、パニックになりそうでした。

     結婚してすぐの頃、テレビでこの中毒で亡くなった人のニュースを見た事が思い出されました。『わたし、
     今は死ねない!』。いままで苦しい事は何度かありましたが、『助けてください』と本気で祈ったのはこの
     時が初めてでした。すると頭の中で『電話!』と声が聞こえた気がしました。そうだ、話せるうちに救急車
     を呼ぼう、這うようにして電話まで辿り着き、事情を説明しました。2〜3分でサイレンが聞こえ、救急隊
     の人が駈けつけてくれました。持病は?かかりつけの病院は?との質問にかろうじて答えた後、救急隊
     の人が『では、かかりつけの病院に行きますね』と言いました。うちからいつもの病院までは車で30分か
     かります。とっさにわたしは『一番ちかくの病院に行ってください』と叫んでいました。今思うとどこにそん
     な力があったのかと思うほど、はっきりと。

     病院は2ブロック先の愛育病院でした。担架のまま治療室に運ばれ、血液検査、レントゲンなどの検査
     を受ける間も吐き気は止まりません。けれど検査結果が出るまで、治療もなくひたすら苦しさに耐えてい
     ました。しばらくたって医師が『検査結果は異常なしなんですが、心配だったら一晩泊まっていきますか
     ?』と言いました。正直、ホッとしましたが、気分の悪さは変わらなかったので一泊入院することにしまし
     た。夫に事情を電話し、夕方様子を見に来た時には熱はあったものの、落ち着いていました。そのまま
     病室で眠っていると、なぜだかギシギシ音がします。気づくと自分の体が大きく痙攣しているように揺れて
     います。寒気も伴い、熱もあるようです。小さなバケツ1杯分くらいの水を吐いたところでナースコールを
     押すことに気づきました。

     それからはところどころしか意識がなく、はっきりとは覚えていません。ただ個室に移され、医師と看護師
     が何人も部屋の中で動いているのが見えました。その中で一人の看護師さんの『ご家族を呼びましょうか
     』という声だけが聞こえました。わたしはとっさに首を横に振っていました。家族に心配がかかる、迷惑が
     かかると思ったのです。あとから説明を受けたのですが、このとき私は血圧50、脈拍120の危篤状態だ
     ったそうです。これは臨終の一歩手前の数字で、医師からは『命を引きとめるのに必死だった』と告げら
     れました。

     バタバタと医師や看護師が走りまわる中、わたしの周りだけ音がありませんでした。まるで夢の中にいる
     ような感覚でした。その中で少しずつゆっくりと力がなくなっていくのを感じました。その感覚は以前、前
     世療法を受けたとき自分の人生が幕を閉じる瞬間の経験をしたときと同じ感覚でした。静かに音もなく
     ス―ッと死が近づいている、そう思いながらも動かない体の中、意識が遠のいていきました。





(c) Happy Drops 2002‐2004 Junko Takamiya  All rights reserved. 無断転載・複写ご遠慮願います。